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【切手買取】菊切手とその時代背景Vol.4

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菊切手発売時期

菊切手は明治32年~明治41年(1899年~1908年)の9年間に渡り発行された切手です。

日露戦争に辛くも勝利した明治日本ですが、日清戦争の勝利とは違い、賠償金の獲得をすることが出来ず戦後賠償による好景気を期待していた民衆の不満が爆発します。

1907年に発生した足尾銅山の大暴動はその象徴的な事件として知られていますね。

日露戦争後、労働争議が活発化し、ストが流行しているという下地の中で、日露戦争後の戦後不況が起こると足尾銅山での労働争議を皮切りにして、夕張炭鉱、幌内炭鉱、別子銅山、生野鉱山などに次々にストが発生しました。

暴動化したストを軍隊が出動して鎮圧するという事態に発展しました。

日露戦争の戦争債権の保証の為、増税による物価高騰に苦しんだ労働者が暴徒化し、最終的に360人余りが検挙された大事件となりました。

しかし、この事件を担当した裁判官は、現場役職者は賄賂の多寡により賃金や作業内容を差別していたことを受けて、この暴動の首謀者と目された幹部に無罪を言い渡しています。

産業革命により発展してきた資本主義は、資本家が肥大し、労使間の軋轢を産む形となりました。

明治維新直後の日本を巡る世界の環境は、いち早く産業革命を達成し、各地に植民地を獲得した西洋と植民地化される東洋という対立が鮮明化しており、富国強兵策により、西洋列強に追いつけ追いこせの精神がありました。

しかし、日露戦争を境にして、レーニンによるロシア革命の達成などにより、西洋対東洋ではなく、資本主義対共産主義という現代にも残るイデオロギーの対立が鮮明となりました。

明治日本における外交思想は、どこまでいても実益を求める物となり、次第に日本外交の孤立化が進捗し、戦争に向かっていくこととなります。

日露戦争後の戦後賠償を取れなかったことで、民衆の不満を逸らすためにも国益を求めた拡大主義を取らざるを得ない日本外交の限界であったとも考えられますね。

まとめ

資本主義対共産主義のイデオロギーの対立が進む世界の中で、現実主義的な外交方針を堅持した日本は世界の中で次第に孤立していき、悲惨な戦争への道を歩みます。

軍部の台頭が激しかった昭和時代の前に、民衆の権利意識が芽生え、「大正デモクラシー」と呼ばれた時代があるのは興味深いですね。

菊切手は正規品であっても額面価値の数千~数万倍の高値で取引されている切手なので、形見分けなどで手に入れることがあれば、是非とも切手専門店でその価値を鑑定してくださいね。

切手専門店の専門家といえどもその判断が正確と断定することは出来ないので、出来れば3社以上で相見積を取り、複数人以上の意見を取り入れて真贋の判断をしたほうが良いですね。

切手買取で、出来るだけ高く売れるよう後悔のない取引をしてくださいね。