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日本最古の流通通貨-皇朝12銭とは?

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はじめに

日本で初めて、本格的に流通した通貨として「和同開珎(わどうかいちん、708年発行)」が有名で聞いたことがある人も多いと思います。

しかし、実はそれに先立ち「富本銭(ふほんせん、683年発行)」などの鋳造の記録が「日本書紀」に記されており、「和同開珎」に関しては「本格的に流通した通貨として」という何とも歯切れの悪い枕詞が付いて語られているようになっています。

どの国でも大差はないのですが、狩猟採集による自分の食べ物や生活に必要な物は自分で採るという時代から、物々交換により、欲しいものと欲しいものを交換する時代が訪れます。

しかし、この物々交換では相手の欲しいものを所持していない場合や、交換する物と物の価値が釣り合わない等の問題が現れてきました。

そこで、価値が落ちにくいと言われている米や布、貝などと欲しいものを交換する「物品貨幣」が用いられる時代を経て、日本では富本銭から皇朝12銭が鋳造され、流通するようになりました。

皇朝12銭とは?

701年に大宝律令が施行された天皇親政下、708年に発行された和同開珎から958年に発行された乾元大寶(けんげんたいほう)までの12種の銭が250年に渡り発行されました。

708年に発行された和同開珎は、政策や字体が違う「古和同」「新和同」が発行されており、「古和同」には銀銭・銅銭、「新和同」には銅銭のみが発見されています。

和同開珎が発行された目的としては、710年の平城京遷都を見据えた財源作りでもあり、原料の3~5倍に相当する高い価値を持つ銭が作られました。

こうなると和同開珎を作れば作るほど、作り手が儲かる仕組みとなってしまう為、和同開珎の偽金を作るものが後を絶たず、「古和同」のうち銀銭に関しては、偽金作りの隆盛も相まって翌年8月には使用停止という事態に陥ったようですね。

その後も作られ続けた銅銭に関しても偽金作りは収まらず、偽金作りをする者は死刑という極刑まで適用されましたが、偽金作りが絶えることはなく、飢饉による米価の高騰もあり、市中にあふれた銭の価値は下落することとなりました。

その銭の価値の下落を防ぐため、次々と新通貨が発行されましたが、律令国家の支配力が弱まり、採掘地からの銅の納入が次第に無くなっていき、銭を鋳造する銅が枯渇していったことで、乾元大寶を最後に、中国から輸入した宋銭や明銭などの「渡来銭」が使用されるようになります。

再び、日本で自前の銭を発行するには江戸時代の三貨制度が出来上がるのを待つこととなります。

まとめ

貨幣経済においては、額面価値と実質価値の異なる貨幣を出すと、交換時の受取拒否などにより、貨幣の価値は下落し、本来価値に近づきます。

現在の管理通貨制度においてはこの限りではありませんが、金本位制における経済のメカニズムにおいては当然の概念だったようですね。