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太閤秀吉が作った天正大判、その価値とは?

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太閤秀吉が豊臣恩顧の大名に対する恩賞とすることを目的として、後藤四郎兵衛家に命じて作らせたと言われる天正大判ですが、特に日本最古の大判と言われる天正菱大判は1億円の価値がある物もあり、個人で手にすることはほぼない物と言えますね。

造幣局の展示室で、展示されているようなので興味のある人は一度見に行く価値があると思いますよ。

戦国武将にとっての金の価値とは?

大河ドラマ「麒麟がくる」で話題に上った斉藤道三、有名な戦国武将ですが、京へ遣わした明智十兵衛に対して、余った旅費を返せと迫る描写があるほど、お金にケチな所があったようですね。

籠城している城への支援用の兵糧米の買い付けにおいて、価格交渉に手間取っているうちに戦に負けてしまったという逸話が残るぐらい、戦国武将にとってお金というものは大事な物だったようです。

こうしたことからも、金165グラムもあり、1枚でも充分な価値を持つ大判は当時の大名にとって、儀礼用の恩賞として最適な物だったと考えることが出来ますね。

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戦国から江戸時代にかけての武家にとっての金の役割とは?

織田信長の時代では金とは、持つ者にとっての権力の象徴でもあり、武器や兵糧の購入などにも使用する現実的な手段としての側面がありました。

秀吉の時代では権力の象徴という側面は変わらず、天下統一を果たした後の家臣団に対する求心力を発揮する為に使用する富の分配としての側面が強かったようですね。

江戸時代に入ると、江戸の金座・大阪の銀座と呼ばれるように統制された貨幣経済の決済手段へと姿をかえていきながらも、社会にとって主要な役割を果たすものであったということは変わらないですね。

豊臣秀吉の莫大な埋蔵金とは?

大判4億5千万両・金塊100トン超、現在価値にして数兆円とも数十兆円とも胃荒れる莫大な埋蔵金が多田銀山の坑道に埋められてたという「埋蔵記録」が見つかっています。

2011年にはロボットまで使用して多田銀山の坑道が調査されましたが、未だに発見されていないようですね。

一説には江戸時代に既に掘り返されたとも言われていますが、豊臣秀吉の莫大な埋蔵金が未だ眠っていると考えるとロマンがありますね。

天正大判の買取価格とは?

天正大判、特に天正菱大判の価値はとてつもないものとなっています。

徳川家に5枚の天正菱大判が伝わったとされていますが、明治維新の混乱期に京都に隠されたと言われており、第二次世界大戦の混乱期に徳川家の末裔が売りに出すことで再び世に現れました。

うち3枚は国に寄贈される形で決着していますが、残り2枚は「個人の古銭収集家」に売られたとされています。

他に存在が確認されているものは1枚あり、天正菱大判は現存が6枚確認されている状況です。

2015年のチューリッヒでのオークションではスタート価格が1億円というとんでもない価格となっており、その価値は計り知れないですね。

買取価格は便宜上、5千万円以上としていますが、価格が付けられないというのが正解かもしれないですね。

まとめ

「太閤秀吉が作った天正大判、その価値とは?」は如何でしたか?

百姓から天下人まで駆け上がった歴史上の人物として、その人生を考えるだけでもロマンがありますが、秀吉が造り、現在、6枚しか現存していないとも言われる天正菱大判にも歴史のロマンがありますね。