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切手価格の変遷

明治時代の郵便料金

現代の郵便料金は、定型25g84円、50g92円、定型外50g120円、100g140円ですが、明治期の郵便料金は現代価値でどの程度の価格になるかを調査しました。

明治4年3月、日本で初めて切手が発行された時、郵便料金は

・書状 100文(5匁まで。以降、5匁ごとに48文加算)となっています。

48文とは、江戸時代からの慣習で100文の半分を48文としていた為、50文と換算して良さそうです。

江戸時代の貨幣価値を現代の貨幣価値に置きなおす方法として、米一升の価格を比較して換算することが最も一般的な方法として使われているようですね。

明治3年時点での1文=0.26円となり、100文=26円、1匁=3.75gなので5匁=18.75gとなり、18.75g当り26円での郵便料金となっていたようですね。

以降は5匁ごとに48文加算となる為、37g39円、55.75g52円、74g65円、92.75g78円となっており、現代価値で見ると思っていた以上に郵便料金も安かったんですね。

明治4年12月からの郵便料金は

書状4匁まで                25里以内 100文(26円)

          50里以内 200文(52円)

          100里以内 300文(78円)

          200里以内 400文(104円)

          200里超え 500文(130円)

と、一里が3.9kmなので、おおよそ100kmごとに価格が上がっていく形となっており、100里(390km)以上となると現代の郵便料金より割高となるようですが、比較的安価な郵便料金であることは間違いないようですね。

明治5年に入ると、「新貨」が採用され、100文⇒1銭、48文⇒5厘、1貫文=10銭と変わりました。

明治5年でやっと貨幣経済も、江戸時代の脱却する形となったんですね。

明治6年4月には

書状 2匁ごと   市内 1銭(26円)、市外 2銭(52円)

明治6年12月には

ハガキ       市内 0.5銭(13円)、市外 1銭(26円)

と、明治6年12月頃からは、書状だけではなく、ハガキという概念も出てきたんですね。

江戸時代から継承してきた貨幣、数量の数え方なども明治に入り、徐々に変化していく中で段々と現在の郵便制度に近づいていく様子がうかがえ、興味深いですね。

明治16年に入ると、第一種郵便の定型、定型外の概念はないながらも、第1種郵便、第2種郵便と現代の郵便制度と同様の制度が確立されており、変化が続いた郵便制度も試行錯誤の末に落ち着いた様子が見て取れますね。

まとめ

幕末の動乱の中で旧体制を破壊して、新しく立ち上げた明治政府は、旧来の抵抗勢力がない中での郵便制度など新しい制度を採り入れ、日本風に改装していくことが比較的簡単だったことがこの明治に入ってすぐの郵便制度の改定の歴史を見れば良く分かりますね。

明治半ばに入ると大きな制度の改正はなく、物価上昇に合わせる形で郵便料金が上昇するという現代と同様の動きをしている様子は明治新政府も十数年を経る中で、組織が硬直していっている様子が伺えますね。

新しいことをするためには、旧来の物を破壊することも必要なんですね。